ヒの森

あたりにヒがみちてきた ふだんはまばらであるヒが いまはそこかしこに宿ってふるっている 気のせいか 森が一層膨れ上がっている 森に在るものは ヒをたっぷりあびながら跳ね回り 悦びにわく 猟師が鉄砲を構えながら森に入ってく...

メランコリア

想像の膜を破り 物質的山河の涯に投げ出されると そこは革命運動のさなかで 無数の旗が翻り空を埋め尽くし 無数の声が割れて空間を満たし その隙間を幼子が歩いていた 物質界の反転現象は 宇宙を光の速度で侵食し いのちを喰い破...

月夜の漂流者

ある穏やかな月夜 野鼠のクィが川辺を歩いていると なにやら川岸に打ち上げられているけものを見つけた おそるおそる近づいてみると それは体中に傷を負った片目の貂のようだった どうやら意識がないらしく 鼻でつついても反応がま...

彗星譚

十七番目の月が昇った夜 山羊のシビュラは森のはずれの星岩の上に立ち 遠くの町を見下ろしていた かすかに甘い香りを含んだ東風が シビュラのゼンマイのような角をそっと撫でていった そのとき角の内部の空気が震え 渦を巻いてシビ...

山猫

ある夕のこと 山猫のポムセが森を見回っていると 一頭の山羊をつれたひとりの男が森を歩いていた そうか もう祭りがやってくるのだな 今年はあの山羊が選ばれたというわけか 山猫は嘆息まじりに呟きながら 男の後をそっとついてい...

精霊王

つぎの玄月の夜 王がやってくるという噂が精霊たちのあいだにひろまっていた なにしろ八百七十二年振りのことなので 王のすがたも 王の出迎え方も知るものはない もし王の機嫌を損ねでもしたら そのまま無に放りこまれるという噂も...

月桃譚

ひとつも實がならぬというのに 庭の桃の木がすくすくのびる むかし庭師が 一本だけあまりに高くて不釣り合いだからいっそのこと伐り倒してしまいませう と云って鋸をあてたところ 遠くで雷が鳴り あっというまに土砂降りとなり 伐...

灰と月光

ウルムガルトの森に月が昇る ブナの木の天辺でふたつの眼球が光る 発掘人形のブリキニクスは 枯れかかった森の蔦の奥から発掘された書物をかかえていた ブリキニクスは 月光の射す花崗岩の上に腰をおろし その書物を開こうとしたが...

最後のカルヴァナル

冬の森に十六夜の月が高々と昇った 広場の真ん中に堆く積み上げられた薪に点火されると 歓声がわきあがる ハイイログマが短い挨拶をすませると 蔦で拵えた冠を火のなかに投げ入れた 喇叭が鳴り 太鼓が地を震わせると 集まったもの...

リネル抄

花屋の前を通りかかると剥き出しの無が陳列されていて 愛おしい思い出が 骨の折れた小さな傘と一緒に売られていて 遠くからやってくる雲を眺め あてどのない存在の紙片を 雲のその奥へ埋め 燃え尽きる存在の影を 寄木細工の箱に詰...