ウタ

ある寒い冬の夜 どこからかウタがやってきて あまりの寒さに思わず土にもぐりこんだ 土のなかも十分あたたかいとはいえなかったが 春のウタでからだを震わせ 寒さを紛らわせた 土のなかはさまざまな虫の幼虫や 種や 蚯蚓や 菌で...

うつしよ

ある春の月夜 森にひとりの年老いた猟師のウスラがやってきた ウスラはこのあたりで最後の猟師であったが もうほとんど視力を失っていて 匂いで森を感じるばかりだった もちろん もう獲物を獲ることなどできない 匂いで木の実を嗅...

星わたり

ペンネは詞を話さなかった 舌をもってはいたがそれを詞のためにつかうのは億劫にすぎた ペンネの様子は その出立も振る舞いも 他のものたちとはまるで違っていた なぜ他のものたちと様子が違うのか それはペンネにもわからなかった...

ヒの森

あたりにヒがみちてきた ふだんはまばらであるヒが いまはそこかしこに宿ってふるっている 気のせいか 森が一層膨れ上がっている 森に在るものは ヒをたっぷりあびながら跳ね回り 悦びにわく 猟師が鉄砲を構えながら森に入ってく...

メランコリア

想像の膜を破り 物質的山河の涯に投げ出されると そこは革命運動のさなかで 無数の旗が翻り空を埋め尽くし 無数の声が割れて空間を満たし その隙間を幼子が歩いていた 物質界の反転現象は 宇宙を光の速度で侵食し いのちを喰い破...

月夜の漂流者

ある穏やかな月夜 野鼠のクィが川辺を歩いていると なにやら川岸に打ち上げられているけものを見つけた おそるおそる近づいてみると それは体中に傷を負った片目の貂のようだった どうやら意識がないらしく 鼻でつついても反応がま...

彗星譚

十七番目の月が昇った夜 山羊のシビュラは森のはずれの星岩の上に立ち 遠くの町を見下ろしていた かすかに甘い香りを含んだ東風が シビュラのゼンマイのような角をそっと撫でていった そのとき角の内部の空気が震え 渦を巻いてシビ...

山猫

ある夕のこと 山猫のポムセが森を見回っていると 一頭の山羊をつれたひとりの男が森を歩いていた そうか もう祭りがやってくるのだな 今年はあの山羊が選ばれたというわけか 山猫は嘆息まじりに呟きながら 男の後をそっとついてい...

精霊王

つぎの玄月の夜 王がやってくるという噂が精霊たちのあいだにひろまっていた なにしろ八百七十二年振りのことなので 王のすがたも 王の出迎え方も知るものはない もし王の機嫌を損ねでもしたら そのまま無に放りこまれるという噂も...

月桃譚

ひとつも實がならぬというのに 庭の桃の木がすくすくのびる むかし庭師が 一本だけあまりに高くて不釣り合いだからいっそのこと伐り倒してしまいませう と云って鋸をあてたところ 遠くで雷が鳴り あっというまに土砂降りとなり 伐...