祈りの夜

ある新月の夜 キスカヌの木にもたれていると 肌がどこまでも薄くなり 血管や神経もどこまでも細くなり 細胞膜という細胞膜もどこまでも薄くなり やがて たよりない有機物の絲となってキスカヌの木のなかへゆっくり沁みこんでいく そんな光景をどこからかぼんやりと眺め味わっている意識がゆらめいているのだが それはどこかにぶら下がっているわけでもなく 世界の隅々にまでわたっているようで もはや取り出すことも分離することもできそうもない そう そこに自分が在ったわけではなく ただ投射されるように浮かびあがっていただけなのだろう 植物の祈りにも似たざわめきがやってくる 本を開いたまま置き忘れてっしまったような淋しさが通りかかる 何かあったわけではない 何もなかったわけではない 意味などあろうはずもなく ただ物質的記憶として 名もなき水の分子のように流転し 時と戯れる