石がひとつ転がり 夜がひとつ弾けた 王は真紅のガウンを纏い 蔓で編まれた王冠を被り 森のなかを巡回する 夜の巡回はすっかり日課となっていた この森は王国の領土であり 城でもあった この王国がいったいいつ建国されたのか 記録に定かではないが 王冠とガウンを引き継ぐ儀式だけは 厳格に伝えられていた もう百年ほど前のことだが 旅の途中でこの森を通りかかったとき 泉のほとりで休んでいると どこからともなく ひとりの男があらわれた 男はおよそ森には不釣り合いの真紅のガウンを纏い 王冠を被っていた そして久し振りに人にあったので是非歓待したい 旅の土産話でも聞かせてもらいたい とのことで 森の奥へ案内された そこには巨大なキスカヌの木が聳え 男はそのウロへ入っていった 男に案内されるままに木のウロに入ると まずここで着替えをといわれ 男にいわれるままに服を交換した そして宴の支度があるのでしばしここでお待ち願いたいと言い残し そのまま男はウロを出ていった しばらく待っていたが男は一向に帰ってくる様子もない これでは日が暮れてしまうと思い ウロを出て 男を探しに出掛けた だが どこを探しても男の姿はなかった 仕方がないのでこのまま森を出て次の町へ行こうと森の出口にさしかかったとき 体が石のように固まり どうにも動けなくなった 少し引き返すと体は動く だがまた森の出口にさしかかると体はまたしても石のように固まった 何度やっても同じだった 王冠をはずし ガウンも脱ぎ捨てようとしたが 王冠もガウンも体の一部になったかのようにびくともしなかった あたりが暗くなってくる とりあえず一度キスカヌの木のウロへ戻ることにした ウロに戻ったが やはり男の姿はなかった ウロのなかはぼんやりとした青白い光につつまれていた どうやらウロのなかに生えている苔が発光しているようだった ウロのなかに一冊の古い書物が置かれていた 書物を開くと見たこともない文字が並んでいたが 文字を目で追うと 書かれている内容が頭に浮かんだ 森の王国の巡回のこと 戴冠の儀のこと キスカヌの木のこと などがつらつらと書かれている どうやら森で出会った男との服の交換は 厳粛なる戴冠の儀だったらしい 王冠を戴いたものは 次の戴冠の儀まで森の王でいなければならない それまでは王冠を外すことも 森の王国から出ることもかなわない あの男は 毎日森に迷うものを求めて巡回をつづけていたわけだ あれから百年経っても 誰ひとりとして森にやってこない 老いることもなく森の巡回を繰り返しても ずっと何も変わらない 森は相変わらず森だった 何のためにこの森を通りかかったのかも忘れかけていた もともと目的などなかったのかもしれない ある朝 キスカヌの木の葉が一枚落ちていた この森の王になってからはじめてのことだった キスカヌの木の葉を拾い それがまるで儀式でもあるかのように 書物に栞のように挟んだ あくる朝 キスカヌの木の葉が二枚落ちていた 何かの前触れのようだった そのあくる朝は四枚 そのあくる朝は八枚 というように落ちる葉は増えていった 巡回していると いたるところで木も草も枯死していた ある朝 キスカヌの木の葉を掃き集めていると 頬に痛みをおぼえた そっとさすってみると 皮膚がぼろぼろと剥がれ落ちた 枯死がひろがるにつれ 体がぼろぼろと崩れ落ちていく ある新月の夜 残っているのは左足のかかとだけになり もう歩くための足もなかった 森の王国もすっかり透明な灰になっていた そしてそのあくる朝 左足のかかとも崩れ落ち 透明な灰のなかに紛れていった 森の王国は誰にも知られない