あたりにヒがみちてきた ふだんはまばらであるヒが いまはそこかしこに宿ってふるっている 気のせいか 森が一層膨れ上がっている 森に在るものは ヒをたっぷりあびながら跳ね回り 悦びにわく 猟師が鉄砲を構えながら森に入ってくる きっと狼のすがたでも見かけたのだろうが 森のなかのただならぬ気配に気がついて 足を止め 息を止め 耳を澄ませた そして 後退りするようにして森を出て 一目散に逃げていった ヒは一斉に笑い転げ そのはずみに幾度となく 分裂を繰り返した ふいに月が翳り ヒは押し黙った なにものかがゆっくり通りすぎていく 樟脳の香りがあたりにひろがる ヒが弾けているとき また月が翳った そして遠くからなにものかがゆっくりと近づいてきた あまりの出来事にヒは押し黙ったが その場を離れることができず ただ慄き 震えていた なにものかは森に入ると 長い二本の舌をのばし あたりにひそむヒをひとつ またひとつと喰らっていった 月が沈み なにものかが森を抜けるころ 森は生まれたばかりのような静寂につつまれ ただ冷たいばかりの空気が流れていった なにものかの行方はようとしてしれない