月夜の漂流者

ある穏やかな月夜 野鼠のクィが川辺を歩いていると なにやら川岸に打ち上げられているけものを見つけた おそるおそる近づいてみると それは体中に傷を負った片目の貂のようだった どうやら意識がないらしく 鼻でつついても反応がまったくなかった 傷口にはみどり色の血が滲んでいた この森に貂はいなかった おそらく川の上流で嵐にあいここまで流されてきたのだろう クィはしばらく迷ったがとりあえず傷口を舐めて血を止めることにした そしてクィは一晩中 体中の傷口を舐めつづけた そして夜が明けるころ 出血はおさまってきた 雲を払うように風がひとつ吹いたとき 貂はうっすらと目を開けた 痛みに顔をしかめながら上体を起こしたとき 腹の傷を舐めている野鼠のすがたが目に入った そして思わず野鼠を掴み そのまま丸呑みにした そして川の水を啜ると 傷口をたしかめるようにしながら森の奥へと入っていった どうも前とは勝手が違っていた この森では風の音も 水の音も 鳥の囀りも詞として聞こえなかった ただ音としてしか聞くことができなかった あれからどれくらい経ったのだろう とにかく腹が減った 野鼠一匹くらいではとても腹は膨れない 貂はそのまま目につく虫や栗鼠や蚯蚓を喰らいつづけた それでも体力はなかなか戻らなかった 森のなかでは他所からやってきた貂の噂でもちきりだった 貂に話しかけたがいきなり喰われてしまった栗鼠の話や 縄張りを勝手に荒らし回っているなど すでに厄介ものだった 貂が流れ着いて何日かたったある夜 灰色熊のポオが貂に声をかけた 欲望のままに小さなものを喰らったりするような不作法なことをこの森でするもんじゃない と云ったが 貂は詞がわからないのか じっと片目でポオのことを見つめているだけだった そしてついと森の奥へ消えていった それからも貂による殺戮はつづいた ある夜 いよいよ貂を退治しようとポオが向かったとき 川辺で青白い炎につつまれている貂のすがたをみた それはとても此の世のものとは思えなかった 貂は細い咽び哭く声をあげながら踊っていた 貂は王から遣わされたのかもしれない それで詞も通じないにちがいない ポオはそう思い しばらく様子をみることにした それからポオの殺戮はぴたりと止んだ ポオはただ川辺に横たわっていた そしてみるみるうちに痩せさらばえていき 骨と皮ばかりになった 病気にでもなったのかもしれない そう思いかわるがわる森の実や果物を集めて貂の口元に運んだが 声をかけても相変わらず何の反応も示さず 口元に置かれた実や果物にも一切口をつけなかった そして殺戮を行わなくなって四十九日の夜 貂は一筋の泪をこぼして息絶えた ポオは短い祈りの詞を捧げると 貂の骸を川に流した そして骸が見えなくなるまでじっと見つめていた そのときどこからか桃の香りがしたが ポオが気づくことはなかった