精霊王

つぎの玄月の夜 王がやってくるという噂が精霊たちのあいだにひろまっていた なにしろ八百七十二年振りのことなので 王のすがたも 王の出迎え方も知るものはない もし王の機嫌を損ねでもしたら そのまま無に放りこまれるという噂もまことしやかに伝わっていた その真偽のほどは定かではないが 精霊だけでなく 森のいきものたちもみな畏れをいだいた 玄月の夜 ひとりの猟師が撃鉄に錆が浮いている古い鉄砲を肩にかけてやってきた あれはポムだね コマドリが囀った ポムはだらしなく鉄砲を下げ 森の奥へ奥へと歩いていった そして玉座岩につくと 徐に鉄砲を肩から下ろして岩にたてかけた 一息ついてからあたりを見回し 足を組み 煙草を取り出して火をつけた 紫煙を燻らせながら目を細め 無精髭の顔を緩めた いま玉座岩に坐っているこの男が王なのだろうか だれもが固唾を呑んで男の一挙手一投足を見守った 蛍火のような煙草の火が消え あたりが深い闇につつまれる ポムがゆっくり息を吐く そして玉座岩に立て掛けてあった鉄砲を取り 下から銃口を顎にあて ルネサンス期の絵画のように静止した ほどなく銃声がひとつ響きわたる どさり という音がしてポムのからだが玉座岩から落ちていく ポムは王ではなかったのか 王への捧げものだったのだろうか それから十年が経つても 王はまだやって来なかった そして今宵 二度目の八百七十二年めを迎える