ひとつも實がならぬというのに 庭の桃の木がすくすくのびる むかし庭師が 一本だけあまりに高くて不釣り合いだからいっそのこと伐り倒してしまいませう と云って鋸をあてたところ 遠くで雷が鳴り あっというまに土砂降りとなり 伐るのを止めたことがあった それ以来庭師は気味悪がって寄りつかなくなった いまも桃の木はすくすくとのびつづけ はたしてどれだけのびたのか もう庭からはうかがい知ることができない だが 相変わらず實はひとつもならぬ ある夜 どこからか声がしたような気がして目を覚ました 起きあがってみると なにやら庭のほうでぼんやり光がゆらめいている いったい何事かと障子を開けてみると 庭が薄桃色の光につつまれていた これはおかしなこともあるものだな と庭に出てみると 薄桃色の光のなかでなにやら目に見えるか見えないかほどの無数の塵がゆらめいていた 桃の木に手をあて天を仰ぐと かすかに桃の木がぷるんとふるえた そのとき ぽたりと桃の實が落ちた あたりがにわかに暗くなる もう沈んでしまったのか 月のすがたはどこにもなかった どこからともなく 孤独が押しよせてくる