ある夜半すぎのこと 干涸びた背中だけになってしまった亡霊が書斎の椅子に座り 半開きの窓から入る風に撫でられながら 歪な爪を立て 緑暗色の書物の頁に見入っている ふと雲の切れ間から射す月光がよぎったとき 埃で曇った硝子に古代の紋章のような影が浮かんだ どうやらそれは掌ほどの大きさの蝶のようだった もはや目も失い それを見ることは叶わないが かつて背中の肌だったささくれがそれを感じた 季節はずれの蝶は ぼろぼろになった羽根を庇うように硝子に羽根を添えている 遠くからやってきた渡り蝶であるのかもしれなかった きっと嵐にでも巻きこまれてしまったのだろう なかにいれて休めさせてやりたいが 生憎月光が射したとき 手と爪の残骸も夜のなかに散ってしまった 開かれたままの書物が だらしなく机の上に在った 次に鳥が啼いたとき 地図のように残された背中とともに消えなければならない その先は何もない はじまりもおわりもない無がただ口を開けて待っている ホーフマンスタールが死と隣りあわせで見ていた夢が気がかりだった たしかこの書物に記されていた 浄化されたい面持ちでここにやってきたが すでに手も爪も失い もう望みも潰えてしまった そのとき風がそよと吹き 窓硝子にはりついていた蝶が 書物の上にぽたりと落ちた そして宇宙が終焉を迎えるように ゆっくり書物がたたまれた そのときかすかに青い光がもれ 背中を照らした 遠くで鳥が啼いたかと思うと ふいに線だけとなった世界がはたはたとたたまれていき 地図となった背中も吸いこまれていった 緑暗色の書物の行方は ようとして知れない